2006年 01月 17日
11年目の1.17 |
目が覚めたのは地鳴りの音がしたからだった。
高台にある家の寝室の窓からは大阪湾を隔て、遠く神戸の町並みが見えていた。
一瞬、そちらの方向に稲妻が走ったように見えた。程なく縦ゆれ、引き続き大きな横揺れ。家が悲鳴を上げた。
点けたテレビが地震速報をやっていた。アナウンサーの第一報は「ただいま、阪神地方に大きな地震がありました。この自身による津波の影響はありません。」だった。確かに津波は来なかった。津波は・・・
1週間後、救援物資を持って、神戸に向かった僕が見たものは空襲にでもあったような焼け焦げた町だった。自分の住んでいた下宿も倒壊していた。隣の小学校が避難所になっていた。それから僕はそこに2ヶ月通うことになるのだった。
あの時は完全に復興するまで10年は掛かると思った。案外早かった。インフラが整備されるまでは・・・
でも、心の傷は、トラウマは、まだまだ人の奥底に潜んだままなのだ。
当時の活動記録
高台にある家の寝室の窓からは大阪湾を隔て、遠く神戸の町並みが見えていた。
一瞬、そちらの方向に稲妻が走ったように見えた。程なく縦ゆれ、引き続き大きな横揺れ。家が悲鳴を上げた。
点けたテレビが地震速報をやっていた。アナウンサーの第一報は「ただいま、阪神地方に大きな地震がありました。この自身による津波の影響はありません。」だった。確かに津波は来なかった。津波は・・・
1週間後、救援物資を持って、神戸に向かった僕が見たものは空襲にでもあったような焼け焦げた町だった。自分の住んでいた下宿も倒壊していた。隣の小学校が避難所になっていた。それから僕はそこに2ヶ月通うことになるのだった。
あの時は完全に復興するまで10年は掛かると思った。案外早かった。インフラが整備されるまでは・・・
でも、心の傷は、トラウマは、まだまだ人の奥底に潜んだままなのだ。
当時の活動記録
by i_kurin
| 2006-01-17 05:47